山本昌男展「川」                                  棟久雅夫


山本昌男はアメリカやヨーロッパでの発表を中心に活動している作家です。山本の写真作品は主にモノクロームで、箪笥からこぼれた誰かの記憶の一片のような、古びた質感を特徴とします。スナップショットのように小さな、しかし息をのむほど美しい写真。これまで、それらは数十枚からときに数百枚に及ぶコラージュとして壁にちりばめられ、また箱に詰め込まれるなどインスタレーションとして発表されてきました。前回の個展で見られたように、個々の写真にたたえられた静謐は空間全体に及び、壁を眺めた印象とその中の一葉に近づき見つめたときの印象は、不思議と同質に思えるものでした。細部と全体の関係性は、自分と世界との関係性をも想起させます。山本の作品が西洋で特に高い評価を受けるのは、観客が彼の作品からこうした東洋的、日本的思想を掬い取るためかもしれません。

「川」と名づけられた今展において、山本は新しい試みを行っています。これまでのような集合的インスタレーションではなく、フレームに入れた1点ずつの写真として私たちは彼の作品と向かい合うことになります。「川」とは被写体を示すものではありません。山本は「川」を境界としてとらえます。それは地形的なものではなく心情的なもの、たとえば彼岸・此岸という境、あるいは人生のような「流れ」自体として。移ろいゆく世界にシャッターを押したとき、その一枚の写真は、これからとこれまでの境を流れる川として私たちの前に広がります。山本が制作の中で感じてきた何万本もの川。しかし山本の「川」を前に世界(=私)を見つめるとき、私たちは意識しているときもそうでないときも、常に川という流れの中にいるということに気づかされるのです。

1点ずつフレームに入れられた山本の写真は、どこかしら俳句にも似ています。俳句は季語を持つことでその世界に流れを含みます。俳句が移ろいゆく世界の一瞬を鮮やかに切り取るように、山本の写真は大きな流れの中の瞬間を暗示的に、美しく提示します。世界は美しく、そして移ろっている。私たちは「川」を前に立ち止まることで、その流れに気づくのです。