私は自然の移ろいを眺めていることが好きです。
空には色々な雲が浮かんでいます。
その雲をみている自分が実は雲を通り越してその向こう側を見ている自分に気が付きます。雲に焦点を当てている様で実は他の感覚に浸っている自分が存在するのです。
ある時、禅僧の良寛(1758〜1831)の有名な俳句…裏を見せ、表を見せて散るもみじ…に出合って大きな衝撃を受けました。
良寛はもみじの散る様子を人生に例えて詠んでいるのです。
人の一生は一瞬の積み重ねであり、その一瞬一瞬において、時には陽の当る表を見せ、またある時は影の裏を見せながら、ひらひらと散って行くもみじにたとえられる、と表現したのです。
落葉が落ちる場面は誰もが目にする情景ですが、その情景からこの句ができたのは
自然に対して謙虚に耳を傾けていた結果であり、人間も自然の一部に過ぎない事を
認識していた良寛は、人の心を和ませ、豊にし、清めるような一生を送られたのではないだろうか........。
もう一つ、私に大きな影響を与えた考え方に、禅の教えの中の「積極的受動性」なるものがあります。
この感覚を会得できれば心と身を扱う揺ぎ無いスタイルの一つを会得したことになるそうです。世界(自然)と一体化する安らかな感覚を知ったとき、森羅万象に対する敬意と謙虚な思いが自然に生まれ、非常に深い地球上も宇宙も含む全ての感性の中に包み込まれると思います。
この考え方は広く武道に用いられてきましたが、私は写真を撮る時にこの感覚を研ぎ澄まそう、と考えます。

「川」(KAWA=Flow)について
山から浸み出した一滴の雫が集まったり山頂の池に溜まった水が流れ出して細い流れを作り、やがて川と呼ばれる姿となって、時に奔流となり、時に穏やかな水面を湛える静かな流れの姿となって、いずれは海に注ぎ込まれて混沌とした大海原になる。
川は大陸では国と国とを隔てる国境になることもあるだろうが、地形的、物理的な物としてみた川ではなく、心情的なものとして表現したい。
仏教の考え方として、人は臨終の後、川を渡るそうで、川のこちら側は生きている者の世界、川の向こう側は光に溢れるお花畑が広がる死後の世界。(此岸-彼岸)
この話しは生死をさまよった臨死体験をした人がよく言っている。
日本人は川をよく人生に例える。人はどこから来て、どこへ行くのだろう?
死後の世界は本当にあるのか?
仏教の開祖である仏陀は唯一つ明確な事は人は生まれた瞬間から死に向かって生き
ていると言われた。
どう生きるか、又どう死ぬか。何か指針や拠り所が欲しい。
ときどきは川の中州に立って、こちらの岸やあちらの岸を見つめなおすことも大切だろう。
前述の良寛の辞世の句に「散る桜、残る桜も散る桜」とある。
私が思う「KAWA=Flow」から喚起されるイメージには「この世とあの世」「前世と現世」「現世と来世」「人間界と神界」そして人生・・・・・などがあります。
私の作品を見ることで「心の安らぎ」「浄化」「癒し」などのきっかけになったり、その感覚が鑑賞者の生きて行くときの杖のような存在になれれば嬉しいです。
私を含めた皆さんが、急がず、立ち止まらず、心が満たされた人生が送られることが理想です。